ども、おっさんマガジン編集長です。
今回のテーマは
「大切なモノを失った」と、妄想してみる。
です。
家族、健康、時間、お金
生きていく中で「大切なモノ」は人それぞれですが、
私達は大切なモノのありがたみを忘れがち。
怪我をして手が使えなくなったり、歩けなくなったり。
そうなって初めて健康のありがたみを思い知る。
いつもそばに居るのが当たり前となり、
ないがしろにしていたパートナーを失って初めてその存在の大きさに気付く。
大切なものだったと気づくのに、それを失ってからでは遅いんです。
生き物は「慣れる」もの
初めてタイに来た時には、父ちゃん母ちゃん子供二人全員乗ったバイクに驚きましたが
今となっては全く驚きません。
むしろ頑張れ父ちゃん!と応援したくなりさえする。
ヤモリかイモリかよく分からないやつが
部屋を走り回っていても気持ち悪いとは思わないし、
スタッフが思むろに鼻くそほじってるのを見ても、鼻毛を抜いているのを見ても何も感じない。
来ないから電話したら
「オン ザ ウェイ」 って、絶対ウソやろってコンマ1秒で思っても、
言ったところで状況は何も好転しないから
そうなんだ、気を付けてきてねって脳で考えずとも脊髄反射で言える。
屋台であり得ない色をしたバケツの水で器を洗っているのを食べる前に見ても
食べる頃には脳を切り離して美味しく食べることが出来る。
慣れって怖い。
っていうけど、環境や日々身の回りで起こる出来事に
「慣れ」ていかないと生きていけないのが人間。
というか、生き物全般そう。
ちょっと鈍感くらいじゃないと、今のストレス社会じゃ生きていけない。
「今の」って言うと昔は違う、ストレスが少なったってニュアンスになるけど、
昔は昔でストレスがあったろうし、違う意味の気苦労それぞれの時代、その地域で存在するはず。
なんだかんだで色々なものに「慣れ」ながら生きていく。
それが生き物。
嫌な事も、良い事も「慣れる」。
始めは感動/嫌悪した事でも、次第に何も感じなくなる。
そうじゃないとやっていけないから。
ということで、「慣れ」自体は悪い事じゃない。
悪いのは、感謝しなくなること。
家族やパートナーがそばにいてくれることに感謝。
健康で普通に食べれて、普通に歩けて、普通に1日が何不自由なく終わることに感謝。
居なくなってから、それを失ってから気づくんじゃなくて定期的に無理矢理思い出させる、
感謝する意識付けをさせられる。
当たり前は当たり前じゃない
それを定期的に思い出せてくれるのが宗教なのかも知れないけど、
そんなものに頼らなくても、自分で気づけるはず。
なんだったら、スマホの目覚ましで週に一回「感謝の日」って作って自分で思い出すだけでいい。
週イチならいつがいいでしょうかね。
月曜日は忘れてた仕事思い出してそれどころじゃないし
火曜日は月曜日に終わるはずの事が終わんなくてやることたくさん
水曜日は疲れが出てくるころ
木曜日は良いね、この日がいいかも。「大切なモノを失った」と妄想してみましょう。
金曜日は土日が楽しみで仕方ないし
土曜日は感謝する暇なんてないほど楽しまないといけないし
日曜日は月曜日の前だから無理
ってことで、
木曜日を「大切なモノや人や健康を失った」と妄想し、
逆にあった良かった「感謝の日」としましょう。
感謝するのはなんでもいい。
前歯があることに感謝でもいいし
朝トーストが食べれることに感謝でもいいし
家族が元気でいてくれることでもいいし
手が使えることでも、足を使って歩けることでもなんだっていい。
いつもの「当たり前」に感謝する日。
自分より恵まれた人なんて数えきれないくらいいるし、
逆に自分よりも貧しい苦しい厳しい状況で生きてる人もいる。
どちらが上が下かは分からないけど、
他人と自分を比べて幸か不幸かを考えるのではなく
今の自分の状況に感謝する。
不平不満を言いたくなる日も有るけど、
その日は自分の置かれた状況に感謝する日。
もっと頑張ろうって思うこともあれば
今はこれでいいやって思えるかも知れない。
少なくともイライラしたり、他人を羨んだりはしないはず。
常に感謝の気持ちを持って人と接する事ができるほど
出来た人ではないから、週に1回くらいは原点回帰して気持ちをリセット。
新しい気持ちと、感謝の心を持って自分自身や他人と接していきたいですね。
ではでは。