スポンサーリンク

「豊たさ」とは

スポンサーリンク
ーおっさんの独り言
スポンサーリンク

ども、おっさんマガジン編集長です。

今回のテーマは「豊かさ」。

 

高価なモノや食事などに金銭を費やす事ができる

経済的な豊かさが注目されがちですが

私が現在住んでいるタイの田舎に行くと、

経済的には決して豊かではないけれど

楽しそうに暮らすおばちゃんに遭遇することが多くあります。

 

彼女たちが大地主で土地を貸しつけて

農民から絞り取っている可能性は否定こそできませんが

大多数のおばちゃん達は普段口にするものは家の近所で作り、

食うに困らない程度に自給自足をして

精神的な豊かさを得ているのだと思います。

 

田舎には人生を達観するに至ったおばちゃんがいるそばで

お酒におぼれろくに働かないおじさん

自己表現と承認欲求が合致しない若者のドラッグ汚染など

良い面ばかりではないことも事実。

 

こちらに10年近くも住んでいれば、

タイの田舎で暮らせば安く過ごせてみんなハッピー♡

みたいなステレオタイプなことは言えません。

 

どんな豊かな世界にも人それぞれの基準や感じ方がある。

その度合いに違いはあるし、求めるモノも違います。

そもそも、生まれてきた段階で、

死ぬまでに使い切れない資産を一族で保有し

すでに見えているモノが違う物もいます。

 

そんな十人十色というかみんながみんな違う環境や感性の中で、

自分が置かれた今の環境で、自分は今どう感じているのか。

理想と現実の違いはあるか。

もしそこに齟齬があるなら

今後どうやって理想に近づけようとしているのか。

その為には今どうやって生活する必要があるのか。

 

将来を夢みて、今の生活をすべて犠牲にして生きるなんて勿体なさすぎますし

今必死で努力しても、未来の自分が豊かや幸せになれる保証なんてない。

将来を夢見ながらも、今の自分も大切にしたい。

いつ死ぬかなんて誰にも分かりませんし。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

裕福=幸福ではない

贅沢=幸せではないとも言えます。

 

というか、そもそも言葉の定義の土台というか基準が違います。

贅沢⇔質素

裕福⇔貧乏

幸福⇔不幸

 

贅沢してても幸福とは限りません。

質素だから貧乏とは限りません。

裕福でも不幸かも知れないし

貧乏でも幸福かも知れません。

 

ここで「豊かさ」に話を戻すと

何を持って豊とするかが最も重要。

言い換えれば、

何を持っているかではなく、どう感じるか。

 

タイは肥沃な大地があるから

田舎に帰れば食うには困らないし、

バンコクの都会で屋外で年中寝たって凍死することはない。

だからみんな笑顔でお気楽に幸せそうなんだ。

 

んなわけがありません。

小さなことでも楽しんだり、それを幸せな事が思う心が無ければ

どんなに恵まれた環境にいてもそれを豊だとは思えないし

幸せにもなれない。

 

毎日質素倹約し、贅沢は敵だと

資本主義経済から距離を置き、

何も求めない暮らしをすべきなどとはとても言えませんが

求め続けていたらキリがない。

他人と比べる事に意味はない

年収がどうとか

給料がどうとか

貯金額がどうとか

家族がどうとか

見た目がどうとか

家がどうとか。

 

他人を羨(うらや)んだところで

自分が何かを得るわけじゃない。

 

他人と競って自分を律し努力し向上心を焚きつける

ポジティブなマインドを燃やすなら良いですが

他人を貶めたいというネガティブなマインドを持つくらいなら

他人のことなんて気にしないに限る。

 

助け合いの精神はもちろん必要です。

しかし、それは他人を自分より下に見たり

優越感を得る為にやるものではない。

 

譲り合いの精神ももちろん必要。

運転していて1歩足りとも道を譲らんぞと一瞬でも思う自分がいたら

それこそ踏みとどまって道を譲る。

ちょっと割り込まれたからとイライラしない。

 

最近少しメンタルが弱っている状態が続き

ロクな人間じゃなかったなと思いこれを書いていることもあり

イライラしてる時って、絶対に幸せではありません。

少なくとも、自分が幸せかどうかなんて考える心の余裕がないはず。

 

人生論を語れるほど素晴らしい人生を自分が送ったきたとは思えませんが

私もあと数日経過すれば40歳に突入。

平均寿命から言えばまだ折り返し地点ではありませんが

我が家系の逝去年齢を考えるとすでに10年近く前に折り返しています。

なので、一般男性よりは死を身近に感じていますのかも知れませんが

どうせ一度の人生、今際の際になって後悔ばかり残らないようにしましょう。

 

ではでは。