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ども、こちらは無料大好きおじさんが運営するおっさんマガジンです。
今日のテーマは「無料サービスについて」。
無料に限らず、市場価格・価値に対して異様に安いものも含めて考えられるかと思います。
価格至上主義
牛丼が300円だったり、バーガーが100円だったり、ドーナツがいつまで経っても100円だったり。
特にドーナツなんて私がアルバイトしていた20年前からほんの数年まで100円セールが行われていたのですから驚きです。
2016年以降は100円セール自体は行われていないようですが、
それと合わせて大きく商品価格を抑えているようなので、実質値下げですね。
食品スーパーでは、安い価格を求めてはしごし、
夕方の半額シールを待って購入する。
私も学生時代に遊び過ぎてお金に困っていた頃はよく半額や割引シールを待ったものですが、
社会人になり、節約と言うものを知り、給料前に預金残高が1000円も無いなんてことは無くなりました。
何かセールとなれば行列を無し、人だかりができる。
でも、その安くなっている商品は、
本当にあなたが欲しいと願っていた商品なのでしょうか。
安いから食べたいから、元から食べる必要などないではないでしょうか。
「安いから欲しい」と言う理由で買いたいのであれば、
それは商品がいくら安かろうとも無駄遣いです。
財布 日本人<外国人観光客
安いは正義
安ければ安いほどいい
そんな風潮になって久しいですが、それに合わせて、
外国人観光客が増えていることに気付いている人はどれくらいいらっしゃるでしょうか。
日本人の多くは、観光客が多く訪れる場所のお店に行くと、
「観光客価格だ」「ぼったくりだ」と、文句を言いますが、
そのぼったくり価格に喜んでお金を払える外国人が存在することに
違和感を感じる必要があるのではないでしょうか。
原価がどうとか、元の値段がどうとか言っているのではなく、
末端価格として、許容できる価格の大小が
日本人<外国人観光客になっている事は由々しき事態だと思います。
日本人が国産和牛は高いから要らないといいながら安い牛肉を食べる一方で、
外国人が高い和牛を美味しそうに食べる。
そりゃ、生産者も国内市場に見切りをつけて海外に目を向けるしかなくなりますよね。
無料サービス、割引サービス
無料でデリバリー
30%割引
50%オフ
営業自粛や、外出規制、外食が出来ないなどで、
店内で飲食することが出来ないので、
デリバリーや中食と呼ばれる出来合いの総菜などを購入することもあるかと思います。
まず配達無料、デリバリーフィー無しというのは、
自分が客としての立場だけならラッキー♪だけで済むかも知れませんが、
貰えるはず・貰うべき配達料が貰えない以上、販売する側が負担するしかありません。
無料で届けてくれる親切な暇人はそう多くはいませんから。
次に大幅な割引や異様に安い価格の商品は、
純粋にお店の儲けを減らして売っているだけ。
もしくはお店の仕入れる業者が痛んでいるだけです。
私達には見えないだけで、誰かが必ず犠牲になっています。
生産者は、一生懸命育てた野菜、お米、お肉が二束三文でしか買って貰えない。
お店はお店で、高くするとお客さんに買って貰えないから安く売るしかない。
客は客で、コスパが良いだのといいTwitterで
さもオラこんなお得なお店知ってるで、とばかりに喧伝する。
それでお店が潤うのであれば良いですが、安さで釣られた客は、
その安さが無くなったら離れているので、利益には貢献してくれません。
コスパが良ければそれで良いのでしょうか。
付加価値を提供してこそのサービス業
材料を仕入れて加工し、付加価値を添付して
原料価格に、手間賃・付加価値を添付して商品として売り出す。
お店としては、当然の義務ですが、今の世の中では行き過ぎたものを消費者が求めて居るように思います。
自動車や不動産建物などは、
一般家庭において自分で作ったりしない・組み立てたり・建てたり出来ないので
文句は出づらいです。
一方で、飲食店などは、
一般家庭でも当然料理することはあるし、コスト感も掴みやすい。
それをいいことに「何でもかんでも安くせぇ、オレでも作れるわ」と思ってはいないでしょうか。
あそこの弁当はこの価格でこんだけついてくる。
あの店は美味しいけど高い。
あ・た・り・ま・え・です。
中にはなんの努力もしていない店もあるかも知れませんが、大半のお店は
美味しい店は、高い原料を使用し手間暇を。
大盛りの店は、ボリューム良く見せる努力と薄利多売でなんとか。
なんでもかんでもコスパコスパという言葉で片づけていたのでは、
どんどんさもしい民族になってしまうのではないでしょうか。
値段がどうとか、お得とかじゃなくて、
純粋に、美味しいとか、美味しそうとかでいいんじゃないでしょうか。
今話題となっている失業者ですが、
コスパで失業者は救えません。むしろコスト削減の為に失業者は増える一方です。
金は天下の回りモノ。だけどメリハリは大事
「入ってきた金はどんどん使え」などと言うつもりはありません。
私はどちらかというと節約をしている方の部類で入るでしょう。
お金を貯めては、株式投資に夢中になっているくらいですから。
パチンカスだったのがはるか遠く昔のようです。
たまに後輩とご飯にいけばいい格好しようと奢るし、
女性とご飯にいけば割り勘っていう年代ではなく全部出すのが礼儀の古い世代です。
でも、無駄なものにお金を出そうとは思わないし、
弁当買って文句言うくらいなら、自分で作れば良いと思います。
そもそも、外食より家で食べる方が好きなので必然的に自炊することが多くなります。
どうせ買うなら
私は、基本的にケチなので昔から安いもの、安いもの
安さこそ正義と思っていたフシが大いにありました。
幼少の頃、ごくごくたまに買うジュースは、
実家の一番近い自動販売機はジュースが120円でも、
ちょっと歩けば100円の自販機があるならそこまで歩かされたし、
家で料理できるものは、外で買うなと言うのが母の教えでした。
野菜は作ればいいし、魚は釣ればいいから買わない。
肉は作れないから仕方なく買う。
そんな家庭で育ちました。
しかし、今は、
どうせ買うなら良いものを買いたい・食べたいと思っています。
それは、このブログでもたまに登場する母が、父親を看取った後の言葉で
「どうせ死ぬなら好きなもの食べさせてあげれば良かった」
と病室の荷物を片付けながらボソッといった言葉が耳に残ってからです。
その後の母は、食べたいと思ったものは高くても食べなさい。
いつ死ぬか分からないんだから。でも無駄遣いはダメ。
という考えに、なりました。
昔はなんでもかんでもケチケチだったのですが、
母にとっては大きな変化でした。
ちなみに、私がこの世で一番好きな食べ物は「桃」です。
今バンコク近郊に住んでいるのですが、
こちらでは桃が旬の夏ごろに1個500bahtで売ってたりします。
はしりの時期ならいざしらず、最盛期を迎えるはずの時期にです。
余りに高いよね。
と、一時帰国した際に母に漏らしたところ、
高くてもいいから、食べたいときに買える余裕があるなら食べなさい。
2度と食べるチャンスは無いかも知れないのだからと言うようになりました。
母は昔登山した際に、美味しそうな蕎麦屋があったのに、
高いからという理由で食べなかった事を今でも後悔していると言っていました。
食べ物の恨みは根深いですねw
ちょっと何の話してるか分からなくなってきましたが、
本当に食べたいと願うなら値段なんて気にするなってこと。
本当に食べたいと思った物に、コスパなんて野暮なこと考えませんよね。
食べ物に関しては、コスパで考えるくらいなら、
自分で作った方がよっぽどパフォーマンス良いし、質の良い食材を使えます。
一方で、自炊せずに飲食店やスーパーで食事したり、持ち帰りするなら文句言っちゃダメ。
自分が手間を掛けず、誰かの手を使って調理して貰って、給仕してくれている。
もしくは、食べられる状態にして包装したものを買わせて貰える。
それだけでありがたいと思えるといいですね。
買って後悔したら、それを選んだ自分の責任。
相手やネットに文句を言ったところで気が晴れることはありません。
最近あまりに安さやコスパに言及した意見が散見されるので、
ちょっと好きなこと言ってみました。
あなたはどう思うでしょうか。
ただ目の前の事だけを考えれば安いに越したことはないかも知れませんが、
その先には、安い商品しか売れないお店の苦悩が。
給料を上げる事が出来ない苦しさ、雇用を継続できない現実があります。
失業率が増えれば、犯罪も増えるでしょう。
だって、お金を稼ぐ手段はないけど、生きて行かないといけないのですから。
強盗や窃盗も、本当に困っている人からすれば仕事です。
でも、そんな世界を誰が望むでしょうか。
「コスパ」という言葉のすぐ先にこんな未来があるとは言いませんが、
安ければそれでよいという価格至上主義はデフレを生み、
給料が下がり、更なるデフレへとスパイラルを生み出すのではないでしょうか。
今みたいになんでも自粛みたいな世の中だともう一段とそれを加速させると思います。
自分が買っているその商品はいつか自分が稼げる糧の数%となる。
ずっと安いもの食べて批評している人と
ちょっと今の稼ぎとしては高いもの買っているけど
今後も食べていくために頑張って稼ごうとしている人。
どちらの方が本当の意味で自分が求める世界に貢献しているのか
考えられる人に成りたいですね。
ではでは。