ども、おっさんマガジン編集長です。
今回のテーマは「平均とは」です。
みんな気になる数値「平均」。
平均身長・平均体重・平均年収・平均所得・平均うんたら。
一般的なイメージの平均、全データの真ん中のデータ2つの平均の中央値、
両端のデータを任意の割合で除外し計算する刈り込み平均。
英語だとMean/Average、Median、Trimmed Meanなどと言いますね。
Meanじゃなくて、Averageで良い気がするんですが、英語はよく分かりません。
とにかくプレゼンやミーティングで自分の都合の良い数値を探し求めて
みんなを説得する為に色々試算してみるあれです。
数字は嘘をつきませんが、嘘つきは数字を使うってやつです。
悪い意味で。
実用的な平均値の算出や使用と異なり、
ネットやSNSで気になる色々な平均値は
いくら調べたところで私達にとってプラスの何を生み出す事はありません。
他人は他人
投資家界隈の住人が特に気になるのが
他人の投資額や貯蓄額。
自分は○○円しかないのに、あの人はあんなに持ってる。
自分も何かにつけて他人が気になる、そんな大勢の1人ですが
いくら調べたところで、劣等感か優越感のどちらかの「感」しか得ることは出来ません。
良い感じか、悪い感じかってだけで、実際に得られるものは何もない。
100万円貯めた、500万円貯めた、1,000万貯めた。
それが2,000万になっても3,000万になっても、
その言いようのない不安というか、先行きの不透明感が無くなることはありません。
マス層だろうが、アッパーマス層だろうが
準富裕層だろうが富裕層だろうが。
そのステージごとの新しい不安に苛まれるだけで
自分の考え方を変えない限り、死ぬまで不安なまま。
まぁ、実際にはすべてのステージを経験した訳ではないので
今後どう考えが変わるかは分かりませんが、
お金を得ればすべての不安が無くなるなんてことは
絶対に無いってのはなんとなく分かります。
世の中に絶対は無いっていいますが、これは間違いないと思います。
目に見えるモノ
見栄(みえ)を張ったり、映え(ばえ)を狙ったり。
こちらのオフィスの駐車場でも、
どうやってこの値段の車買ったのよとか、
いやいや、その家買っちゃダメでしょ、その給料でって人います。
会社の給料とは別で、実は家が裕福でしたとかのケースなら良いのですが
見栄を張る為に高い車に乗ったり、莫大な借金をして家を買ったりするのは
私の感覚ではどうなんだろうなと思ってしまいます。
どれくらいの値段が相応かってのは明言を避けますが
他人と自分を比べ短絡的に見栄えを張る為に、借金をする必要はないはず。
借金≒投資
借金と投資はニアリーイコールの関係。
利息を払うか、貰うかの方向性の違いというだけです。
利息を払わないといけないのが借金。
利息を貰えるのが投資。
利息を払わないといけないのが負債。
利息を貰えるのが資産。
借金をして家を買い、
利息を払う以上に収入があるのが不動産投資で素晴らしいと思いますが、
利息だけ払って家からの収入はなく、借金を返し終わる頃には家の価値は無くなってしまう。
なんて事をしていたら、資産形成など出来る訳がありません。
車も同じですね。
ただ、家を買い家族と幸せに毎日の生活を送れたり、
その車の保有が自分にとって何よりもの幸せを感じる事ができるとかなら
是非そうするべきだとも思います。
幸せの形は人それぞれ。見栄とか映えじゃなく、自分の感覚でそうならそういうこと。
他人がとやかく言うことじゃない。
一度キリの人生です。好きなようにやればいい。
そう言い切れる自信がないなら、
借金をして利息を払い続けるのではなく
資産を買い、利息を得る方がいいと思います。
比較する対象を変える
人間は相対的な価値を測る事は得意ですが
絶対的な価値を見出すことが苦手な生き物です。
同じ会社でも給与格差はどうか、ご近所の家はどうとか車がどうとか、
親戚のあの家はどうとか、とにかく他人と比べて自分を測ろうとする。
しかし、他人と比べて競って争ったところで
何も得るものは有りません。
だったら、自分自身と比べるのはどうでしょうか。
去年の収入はどうで今年はいくら増えてる、
去年の支出はどうで今年はどれだけ減ってる。
とか。
増えてても減っててもいいから、現状を把握し他人と比べるのをやめ
自分の成長を測り比べる。
他人ではなく過去の自分と比べる事で、
将来へのモチベーションを得る事ができます。
他人への劣等感でも優越感でも無く、自分自身のやる気を。
平均なんてクソくらえで良いと思います。
ではでは。