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絶対に謝らない人との付き合い方

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ーおっさんの独り言
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近頃は仕事のプロジェクトで

カナダ人のスタッフと時間を共有することが多いのですが、

この人がぜーーーーーーーったいに謝らない。何があっても謝らない。

どれだけ自分が間違っていた事が分かっても、そのミスを認めることはしますが、

絶対に謝ることは無いです。

まぁ認めるも何もエビデンスを提示するので

ミスを認めないってのは無理なように仕向けているので認めますが、

もし証拠を突き付けなければミスさえも認めないんだろうなと思います。

 

今回は偶然カナダ人で謝らないことが気になったのですが、

実際には、国籍はなんの関係もなく、

それが日本人でもタイ人でも個人の問題だと思います。

意味もなく「すみません、すみません」を連呼しろとは言いません。

 

ただ、自分がミスが発覚した時や、

何かしらの損失が発生した時には、一言でいいから謝りましょうよって思ったので

今回はこの謝らない問題について私見を書いておこうと思います。

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「証拠だせよ」的な態度

みんな使ってると思うメッセージアプリのLINE。

ちなみに日本、韓国、タイ以外のアジアでは

WhatsAppの方が普及している印象ですが、

タイでは相変わらずWhatsAppよりもLINEの勢力が強いです。

今私が連絡する可能性があるのが、タイ・日本・マレーシア・インドネシア・シンガポール・ベトナムですが、

普通に電話かけると電話代がとんでもないことになるので、iphoneのファイスタイムか、

こういったメッセージアプリのネット回線使った無料電話を使用する機会が多いです。

何がどう違うシステムを使っているのか知りませんが、

普通の電話で掛けていたら、30万円とか払うことになります。

便利な時代になったものです。

 

で、「証拠出せよ」的な高圧的な態度で来られたので、

証拠を突き付けてやったというお話。

 

昨日、オフィスにいたら、カナダ人から電話掛が掛かってきて、

現場にいるんだけど、何やってんの?まだ来ないの?早くしてよ!こっちは沢山プロジェクト抱えて忙しいんだから!

と、いきなりかなりのご立腹態度でまくしたてる電話が掛かってきました。

 

なので、

おっさん
おっさん

「LINEで日程変更の連絡したよ」

と言ったのですが、

「私は見てない」「知らない」「今すぐ来い」

とのたまうので、

おっさん
おっさん

「いやいやいやいや、連絡したし。

むしろ●●自分で返信もしといてそれはないでしょ」

という話に当然なりました。

 

こちらとしては、そのカナダ人個人のLINEに日程変更の連絡をして予定を確認してから、

さらにその後、その人もそれ以外のプロジェクトメンバーも入っている

グループLINEで日程変更の通知をしました。

そしたら私は見てない、エビデンス出せみたいな話になったので、

 

おっさん
おっさん

分かった、じゃぁLINEのスクリーンショット送るから確認して。

でも、とりあえず打ち合わせはしないといけないから、

今日に変更してるけど、今日のスケジュール空けて無いってこと?

と聞くと、

そんな時間空けてるわけないでしょ!こっちは忙しいんだから予め言ってくれないと、そんな暇ないわ!

みたいに、話にならないので、

おっさん
おっさん

分かった。んじゃぁ、

こっちは調整出来るから来週のスケジュール確認して、

2時間確保できる日を今日中に連絡して

と言って、電話を切りました。

こちらが理解できない事象や理由・考え方に対して、なぜか怒っている相手に、

その場で応戦しても意味はないです。粛々と前に勧めるに限ります。

電話を切ったあと、

予定変更の連絡(おっさん発信)と了解の旨の返事(カナダ人返信)のスクショを、

カナダ人個人宛とグループLINEに送信。誰がどう見たって彼女も理解している何よりもの証拠。あ、カナダ人は女性です。彼女がただ予定変更を忘れていただけ。

ちなみに、カナダ人カナダ人と書いてますけど、人種差別的な意識は全くないのであしからず。これだけオフィスに色んな国籍の人がいたら、差別しようが無いですw

その土地でマジョリティ取ってる・私たちは優性と勘違いしてる人達が差別するのであって、こんだけ異論な国籍の人が入り乱れている職場では、国籍ではなくその人個人が有能か無能かで判断する感じです。

おっさん
おっさん

こっちも変更のリマインドするべきだったよ。ごめんね。

と、誰がどう見ても彼女の間違いではありますが、

 

こっちも悪かったと軽く謝る体を取っておきました。

逃げ場を失った動物は怖いですからね。
追い詰めたとしても、一つくらいは逃げ道は与えて恨まれないようにしないと、ある事ない事言われて寝首かかれます。気を付けましょう。

そしたら

Noted

って一言で終わりました。

それを見た時に、この人との付き合い方と付き合う深さは考えようと思ったことは言うまでもありません。

 

命取られるわけじゃあるまいし

海外での業務に携わる際に、

その時の上司から何か起こっても簡単に謝っちゃいけない的な事を言われた気がします。

その上司の説明では、謝るリスクとして

「自分の非を認めた」ことになり、「責任」が発生するから。

そんな説明だったように思います。

その当時は、なんも知らないし、分からなかったので、

そうなんですか!分かりました!みたいに、純粋に

そのまま真に受けていたのですが、今となっては、

ほんとうにそうか?と思っています。

完全に欧米でのビジネスだったら昔の上司が正しいのかも知れませんが、

私の主戦場は東南アジアです。10年くらいやってきてこう思っています。

 

まだこんな若造には分からんやろうって思って、

上司が説明を省いただけなんでしょうけど、簡略化しすぎです。

もし、たった一言謝ったくらいで責任取らされるなら、

契約書って何のために結んでるんだって話だし、

擦り合わせとか、打ち合わせとか、会議とか、協議と相談とか

その会話、関係性、人と人のつながりってなんなんだって話です。

 

それこそたった一言謝っただけで、即裁判沙汰みたいな

捉え方をしている上司ではありましたが、

その悪影響か、この上司が取りまとめているプロジェクトで、

上手くいってくるものは無かったように思います。

 

そして、いつの間にか部署から居なくなり、

いつの間にか会社から居なくなっていました。

 

適材適所。10年近く海外案件に携わってきて、今思うことは、

あの当時の上司には少なくとも適正は無かったなと確信を持って言えます。

他の場所で、持てる他の能力を使って適所で活躍されていることを願います。

さて、話を戻しまして、あやまるということ。謝罪について。

人と人との関係性

謝ったからって命取られるわけじゃないし、

一言謝罪して次に進めばいいだけです。

「Sorry」よりも「Thank you」の方がいいに決まっているので、

可能な限り「ごめん」ではなく「ありがとう」を使うようにしていますが、

ごめんの一言でうまくいくと思うなら使うべきだと個人的には思っています。

当然、簡単に謝っちゃいけないって意見があるのは分かりますが、

まぁ10年間くらいこれでいい感じにやってきているのでこのままでいいかなと思っています。人には色々なやり方がありますし、それが個性とも言いますし。

結果的に物事が前に進みさえすれば方法はそれぞれ違った方で良いと思います。

創業者や経営者、株主ではないですが、サラリーマンもそれぞれの大きさこそあれ、

ある程度の決済権を持って仕事をしていると思います。

そして、業務上で物事を進める時や決定する際に、

人間である以上は「好き嫌い」の感情を全くのゼロにすることは出来ないと思います。

ボーナスの評定にしてもそうです。数値目標の設定は粛々とそれに従いますが、

マインドや主観が判断のベースになるものを排除することは今のところ出来ないし、

その判断は基本的に「好き嫌い」で判断されても仕方ないと思います。

「好き嫌い人事」んなこたぁ当たり前で、それが嫌ならサラリーマンやめろって話です。

結局は人からどう思われるか、人と比べてどうなのか。

人である以上は、絶対的な評価ではなく、相対的に評価されるのが常です。

これは紛れもない事実なので、いかなる時も忘れてはいけません。

そして、他人からの評価「される」場合のみならず

自分自身で何かを判断する時にも、相対的に判断しています。

何かを食べた時の味の判断にしてもそうです。

レモンを食べた後、にイチゴを食べれば甘く感じますが、

クソ甘い東南アジアのコーヒーを飲んだ後に、イチゴを食べたら酸っぱく感じます。

同じイチゴを食べても感じ方は全く異なります。

結局は、「●●と比べて●●はどうか」という判断をするわけです。

この場合は、直前に食べた「レモンと比べて、イチゴは甘い」と判断しただけです。

実に主観的で短絡的ですね。

これが日頃の人付き合いにも言うことが出来ます。

完全に「確固たる自分」という物を確立している人は違うのかも知れませんが、

私はそうではないので、それなりに人に流されるし、それなりに周りに影響を受けます。

なので、うまーく人と付き合って、うまーく業務を回せればそれで良いです。

何かに対して、猛烈に反対したい気持ちになる事はありますが、

それが人道上や物事が危険な方向に進む以外は、まぁそういう考えもあるか、

程度で流すようになりました。

昔は、何かにつけて自分の考え以外のものは認めないような態度で

周りと接していたように思いますが、強硬に反対して自分の意見を押し進めたとして

「反対した他人意見」と「推し進めた自分の意見」

結果的に大して変わんねーな

と、思うようになったからです。

むしろ、言うこと聞いてたらもっとうまくいってたかもと申し訳ない気持ちになったこともあります。

なので、今では「余程こうしないとマズいことになる」という事以外は、

他人がリーダーでやっているものに関しては、

そこまで重要ではない事を、横からやいのやいの言わないようになりました。

当然良いと思う提案はしますが、相手の提案をすべて無しにして全部自分の考えでみたいな奢った考えはなくなったように思います。

それが大人になったというのか、丸くなったというのか。

それとも牙を失くしたというか、切れないナイフになったというか。

まぁ、歳をとって経験も積んでくれば何かしらの変化があるのは

劣化ではなく、成長でしょう。そう思うことにしています。

なんでもかんでも自分を否定したり、

もっと上にもっと良くなるためにっていつも考えていたら疲れてしまいます。

まとめ

人と人との付き合い方とか言いながら自分の考え方の話になってしまいましたが、

いいたいことはただ一つ。

謝るべき時は、素直に謝りましょうってこと。

釈明・言い訳するのも自由だし、強がるのもいいですが、

一言軽く謝るだけでも留飲がさがる人もいるし、

物事がうまくいくことだってあります。

謙虚さを失くした人は成長しなくなると言われますが、

もっと簡単なのは素直な気持ちを持ち続けることだと思います。

他人の意見が聞けなくなったら、まず素直に。

自分の間違いを認められなくなったら、まず素直に。

素直に勝る能力はなかなか無いと思うので、

まずは日頃生活するにあたって、

素直にありがとうと言える気持ちと、

素直に謝ることが出来る心持ちで暮らしていくこと。

そして、謝らない人で自分に何ももたらさないと思った人とは、

可能な限り関わりを持たず、もし関わりを持たざるを得ない場合は、

反面教師として働いて頂いて、自分に何かしら教訓として残すことが出来るようにしたいと思います。

ではでは。

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