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「サプライズ」を科学する

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■ライフハック
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なぜ人は「サプライズ」を求めるのか

皆さん、
最近誰かにサプライズしてますか?
されてますか?
大嫌いですか?

ちなみに私は大嫌いです(-.-)

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職場でのサプライズケーキ

今日、タイので職場で誕生日を迎える同僚の
サプライズケーキ」がプレゼントされました。

突然事務所の電気が消され、
日本でもよく使うあのHappy Birthday to You を謳いながら
ロウソクのともされたケーキが登場という、よくあるあのパターンです。

私がこの事務所に来て、はや6年ほどが経過していますが、
毎年必ずやります。

すでにみんな分かっているのでサプライズでは無いと思うのですが、
絶対にこの儀式は執り行われます。

私の部門は人が少なくて、15人くらいしかいませんが、
1年は12カ月しかないので、
ほぼ毎月この「サプライズケーキ」が登場することになります。

ちなみに2年ほど前からは、切り分けるのが面倒ということで、
12個の小包装されたケーキをより合わせて、
ホールケーキに見立てて行っています。

すでにみんな「サプライズケーキ」の存在は知っている状況です。

そこで今日は、

1.サプライズである必要性

2.本当にうれしいの?

特に当地タイにおいて、この2点について脳科学的にかつ、

国民性にも触れながら考えて行きたいと思います。

1.サプライズである必要性

すでにみんな知っている状態でありながらの

「サプライズ」の必要性。これは懐疑的に思うことこそあれ、

ゲインロス効果で簡単に説明することが可能です。

■ゲインロス効果
人間に心理状況において、良い印象と悪い印象のギャップが大きいほど、その人に与えるココロの影響力が高くなる効果。

例えば、

ーヤンキーの生徒が、普段しない掃除を手伝っているだけで良い印象を与える。
 本来は当たり前のことなのに。真面目君は損って話。
ー毎日接待で深夜に帰宅が当たり前の父親が、息子の誕生日に早く帰ってきた。
 本来なら毎日早く帰って来いよって話。
みたいな感じです。
よく考えればあたり前なのに、関係する人間が抱くはじめの期待値が低いばかりに、
珍しく普通の事をすると、なぜかとても喜んでくれます。

これをサプライズケーキに応用すると、

もし前日に「明日誕生日ケーキ買ってくるから」と言ってしまったら、
ケーキを買ってくることが当然で、もし買ってこなかったらマイナスでしかありません。

しかし、もし直前までケーキがあるなんて本人に言わなければ、
ケーキがあるだけでありがたいと思って貰う事が出来ます。

これがゲインロス効果から見る「サプライズケーキ」です。

サプライズケーキ、素晴らしいイベントですね”(-“”-)”

次に、

2.本当にうれしいの?

純粋なサプライズ、本当に驚くサプライズは普通にうれしいと思います。

私だって嬉しいです。

なぜなら、ゲインロス効果が効くから(#^.^#)

今日は権利落ち日だし、株価下がるでしょって思ってたら、
なぜか保有する銘柄の銘柄がグングン伸びてく感じです。
無条件に嬉しいですね。経験はしたことないけど(-.-)

 

しかしそれとは反対に、
すでに予測がついている場合や、存在に気付いているのに、
まるで知らなかったように
喜ぶふりを強いられる、演じる必要がサプライズケーキにはあるから
私は大嫌いなのです。

しかし、今日の職場の例を考えるとまた別の側面が見えて来ます。

■サプライズで喜ぶことが出来ないと私が思う現在の状況
◇毎年恒例のイベントであり、すでに少なくとも全員5回ずつは行われている
◇毎月誰かしらのサプライズを行っており、その存在は忘れようのない物である
◇時にはサプライズケーキが本人の目に入ってしまうこともある

このような状況なので、私は絶対に喜ぶことは出来ません。
むしろ俺にはやらないでくれと頼んでいます。
なぜなら前述のように、喜ぶよりをしなくてはならないからです。

しかし、今日それは私の思い上がりだという事に気づかされました。

同僚の言い分

タイ人の同僚に言わせると下記の通りでした。

◇毎年恒例のイベントであり、すでに少なくとも全員5回ずつは行われている
⇒毎年やってるからって、今年もやってくれるとは限らない。だから今年もやってくれると嬉しい。みんなディジャイありがとう♪

◇毎月誰かしらのサプライズを行っており、その存在は忘れようのない物である
⇒自分にも毎年やってくれると嬉しいなとは思うけど、本当にやってくれるかは当日まで分からない、だから実際にサプライズやってくれると嬉しい。みんな親切、ありがとう♪まぁ、基本上と同じ。

◇時にはサプライズケーキが本人の目に入ってしまうこともある
⇒偶然自分と同じ誕生日にケーキがあるというだけで、自分が貰えるとは思わない。だから、私へのプレゼントだった時には嬉しい。みんなありがとう、私もみんなにサプライズするね♪

そこで、喜ぶふりとかするのしんどくない?と

私にとっての今回の確信に触れてみました。

 

するとその女性はスタッフは、

相手が喜んでくれたらもちろんうれしいけど、
別に自分が好きで祝っていることだから、それは人それぞれ。
そんなことみんな気にしてない。お祝いはお祝い。

と、

 

ドライなんだか、人情味溢れるんだか、どちらともつかない答えでした。

しかし、この答えに「考え方」の違いがあるんだと思います。

考え方の違いからくる国民性

国で括ってしまうのはあまりに横暴かも知れませんが、

私たち日本人は、常に「周りの目」や「周りにどう思われるか」を気にして生きています。

違う人もいるかも知れませんが、少なくとも私や私の周りの日本人はそうです。

 

ちゃんと喜ばないといけない
なぜなら
みんなが祝ってくれて喜ぶ顔を期待しているから

 

この気持ちや考えは、すべて自分で作り出しているもので合って、
周りの人間がどう思っているかは実際分かりません。

そして、得てして自分が思っているほど、周りの人は私のことなど

さして気にしていません。

簡単にいうと自意識過剰、勘違い野郎です。

あなたの前髪が今日はいい感じでキマっていようが、

寝ぐせが立っていようが気にしません。

てか、気づいてません。

 

この壮大なる勘違いから、余計な考えを巡らせて、

サプライズされたから驚かないといけないとか思ってしまうのです。

なので、驚いたなら驚いた顔を、
嬉しいと思ったら嬉しい顔を、
少なくともありがとうと思ったなら笑顔で
感謝の気持ちを伝えれば良いんだなと今更ながらに気づかされました。

まとめ

心のどこかで、

こうあるべきとか、みんなはこう期待している、その期待に応えなきゃとか

思っていませんか?

そんなことはみんな気にしていません。

嬉しいなら嬉しいと、感謝するなら感謝の気持ちを、その時の気持ちを

素直に表現すれば良いと思います。

型にはめられて、「べき論」で自分を取り繕っていっても、

将来どこかでつまづくことになります。

「サプライズ」に限らず、
自分の感情に、周りの勝手な思惑や世間体を反映するのはやめましょう。

この世界はそんな堅苦しいものじゃなくて、
楽しむために存在するものだと思います。

そして楽しめるかどうかは、すべて自分の気持ち次第です。

もっと楽しもう!という気持ちを持って日々生きていきたいと思います。

では。
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